人と話すことで知れた、母の愛情

雑記

独学でできるようになったかぎ編みだけど、きちんと編めるようになりたいなあと思い、体験教室に行ってきた。

かぎ編みを始めたのは、2年前の4月くらいだったと思う。

 

2年前の2月

新卒で働いていた会社を退職し、わたしはひどく病んでいた。

働くことが怖くなったし、自分がやってきたことを否定されたような気持ちになった。

 

働いたらまたこんな苦しい思いをするんだろうか、と思ったらアルバイトの募集に飛びつくこともできない。結局その年の6月まで約4か月間ニート生活を送ることとなる。

 

この4か月間、何をして過ごしていたかあまり覚えていない。

一人暮らしの家に引きこもっていたら、考えが巡って辛くなる。実家に帰ったり、こっちに帰ってきたり、1日1回は外に出るようにしてたと思う。カフェでぼけっとする時間が多かった気がする。

 

編み物を始める
母が昔から編み物をしていた。
小さな頃から、洋服やバック、お弁当袋、マフラー、帽子など編み物に限らずたくさんのものを手作りしてくれた。

 

たしか中学生か高校生の頃に一度母に編み物を習ったことがあるのだけど、全然できなくて不器用なわたしにはセンスもないし、できないんだなと早々に諦める。

 

できなかった時のことを覚えていたから、できないんだろうなと思ったけど、ニート期間に荒んでたわたしは没頭できる何かをしたくて、再挑戦。

 

母にもう一度習って、不器用ながらにできないなりにやってみたら、ハマった。
さすがにずっと母に習い続けるわけにもいかず、YouTubeの動画を漁って毎日編み物をするようになったら、いつの間にか普通に編めるようになった。

 

最初少しだけ教えただけの母は、あんなに不格好なものを作ってたわたしがたくさんのアクリルたわしやコースターを作れるようになったことに驚きと嬉しさがあったようだ。

 

時間が経ち、またやりたいと思うようになった
編み物を始めて1年くらいは毎日編む時期もあれば、たまに何か作っていたと思う。
たくさん作るだけ作って、たまに誰かにプレゼントしたり。

 

それからしばらく編み物はしてなかったのだけど、数週間前に久しぶりに編みたくなった。
ブランクがあり初歩的なとこから忘れていたけど編めた、前みたいにYouTubeを見ながら。

 

独学だったから、分かりにくいところは自己流でやってしまっていて、出来上がりがなんとなく締まりがないなあと、作ったものを眺める。
編み癖が付いてしまっているけど、一から学びたいと思った。
プロに習ったらもっと綺麗に編めるようになるし、作れるものの幅も広がる。

 

体験教室に行ってみた
編み物を始めた頃から知っていたけど、結局行かなかった教室に行ってみた。まずは体験から。

 

やり方を違うようにしていたところもあったし、針の向きをこうしたら綺麗な編み目になるんだなとか、独学では分からなかったことを知れた。

 

ゆっくり、一つ一つ丁寧にやってみる。
没頭できる感覚を少し思い出した。

 

少人数制だし、すぐに先生に聞ける環境だから、上達も早くなりそう。
編み癖が付いてるけど、直してまた色んなものを編みたいと純粋に思った。

 

どうして編み物をするようになったの?
先生からの何気ない質問だった。

 

わたし『母が、小さな頃から色んなものを手作りしてくれていました。昔から手作りのものが身近にあって、なんとなく始めました。あの頃は分からなかったけど、今になって手作りっていいなと思って。』

 

先生『手作りの温かさに触れたからね。売り物じゃない優しさが手作りにはあるもんね。』

 

―――――手作りの温かさに触れたからね―――――

 

今となって気付いた母の愛情
ハッとした。
母はたくさんの愛情を注いでくれていたんだ。

 

お弁当袋、お弁当を包むナプキン、上靴入れ、図書館バック、マフラー、手袋、帽子、水筒入れ、スカート、ワンピース。
覚えてるだけでこれだけたくさんのものを作ってくれた。

 

わたしは、自分の周りに溢れた母の手作りが嫌だった時期がある。
今でも覚えてるのが、手作りのお弁当袋が嫌でショッピングモールにお弁当袋を買いに連れて行ってもらった。
たまたまクラスメイトとそのお母さんに会い、『何してるの?』って話になって、『お弁当袋をね~買いに来たんよ~』と。今思い返すと、母は少し寂しそうな顔をしていた。

 

友だちのお母さんが『それだったら、わたし作ってあげれるのに~』と。
母は『わたしも作れるんだけど、買いたいって言うから』とまた寂しそうだった。

 

たぶん母はこの時傷ついたと思う。

 

わたしの成長と共に母が色んなものを作ってくれることは徐々に減っていった。

 

いつも何かを教えてくれるのは人
小さな頃は分からなかったけど、体験教室での先生からの一言で、『あー、わたしは十分すぎるくらいの愛情をもらっていたんだ』と気付けた。

 

母の愛情について深く考えることができたのは、人と会い、対話し、自分の気持ちを言語化したからで、人と触れ合うことがいかに大事なことか知れた。

 

言語化することで自分の気持ちを知れて、ちょっとした一言で心が動かされたり、いつも何か教えてくれるのは人だ。

 

今は結婚願望もあまりないし、将来子供を設けるか、設けられるかも分からない。
分からないけど、自分がしてもらったようにどんな形でもいいから、たくさんの愛情を注げたらいいな。

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